学校の先生方に異動はつきものである。ここ相馬で津波の被害を大きく受けた地域の学校でも各校で先生方は多少なりとも入れ替わっている。しかし,震災後5年目を迎えた現在もなお,同じ学校で震災前から子どもたちの姿を見守り続けるA先生がいらっしゃる。
そんなA先生に,ある時期,職務上,震災について振り返らなくてはならない機会が訪れた。その準備の最中,A先生は「“やわらかなかさぶた”にしていたかったけど,そうはならなかった…」と苦笑して語られた。さらに,「なんか…“かさぶた”を無理やり剥がされた感じ」とつらい心情を吐露された。A先生の“かさぶた”は,まさに震災で負った心の傷跡であり,A先生にとって震災を意図的に思い返すという作業は,まさに震災を再体験するような過酷なものであることの比喩であったのだ。
しかし,A先生のすばらしいところは,つらい記憶を思い出しながらも,ご自身の役目を「(地域の方々を)つなげる役割」だったのではないか?ととらえるに至った点にある。まわりの風景が以前の面影がほとんどない状況になっても,以前と変わらずに残っている学校。そして,その学校で震災以前と変わらぬ笑顔で出迎えてくださるA先生の姿に安堵された地域の方々は少なくないのではないだろうか。
地域のコミュニティが震災以前とは異なる様相を呈していても,学校が“児童が通う場”という存在であるだけでなく,地域のコミュニティの象徴であり,人々をつなぐ拠点となり続けていることに大きな意味を感じた。学校という場が地域のコミュニティに与える安心感は,A先生のように,先生方が地域の多くの方の死という現実に向き合い,悲しみや苦しみを抱えながらも地域とのつながりを大切にされてきた積み重ねの上に成り立っているのではないだろうか。(今)